とえに愛しき者の傍で」

 

 

 

 

 

 

 

師走―――普段はどっしり構えている師匠でも走り回るほど忙しい月という意味があるらしい。だが、師走も暮れの年初め、そのときほど忙しい日々はない。

 

 

 

 

 

 

「昌浩、大丈夫か?」

てくてくと歩く物の怪が、隣で大量に書物と預かり物の文と誰それへの言付けと・・・・などなど、さまざまな雑事を抱え込んでいる安部の末孫に声をかける。

「うー・・・大、丈夫・・。もう少しで正月行事も終わるし」

昌浩は物の怪を振り返らずに答える。否、振り返らないのではなく、振り返れないのだ。

実際、昌浩の手の上にうず高く積まれた書物やら文やらのせいで、昌浩の顔は半分以上隠れてしまっている。

そう、今はちょうど年初めなのだ。

人々は餅をついたり、着物を新調したりとしながら御年を振り返り、こんな事があったな、あんな事があったな、と思いを馳せる。そして来年はこんな年にしよう、こんな事を改めよう、と気持ちを新たに新年を迎えるのだ。

だが、それはあくまで都人の話であって、陰陽寮の者たちはそんな呑気なことは言っていられない。

年初めといえば一大行事。それゆえ行事が目白押しなのだ。

少なくとも年明けから7,8日はまともに休める日もそうそうない。年明けと言えば華やかで晴れやかだ、と感じる者もいるかも知れないが、そう感じられるのは裏で怒涛のごとき雑事を、寝る間も惜しんでやりこなしている陰陽寮の者達の働きがあるからなのだ。

「あと二日、あと二日・・・」

昌浩は自分に言い聞かせるように呟く。

今日と明日を乗り切れば久々に健やかな眠りの時が待っている。

「眠りの時の前にいつものやつがあるからなぁ〜〜。明日は頑張れよ、晴明の孫」

何やらニヤニヤと笑いながら面白そうに言う物の怪に、

「孫言うな!!」

と、半分以上顔が隠れていても分かるほど顔を赤らめながら、昌浩は言うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・ようやく年越しも終わりだのう。ここ数日、長かったわい」

晴明は自室でのんびりと書物をめくりながら呟く。

あれから今日を含めて二日、ようやく正月行事も終わりを告げた。正月の来訪者を懸念して、しばらく別邸に滞在してもらっていた彰子を安部低に呼び戻し、久々に全員そろっての穏やかな時間が流れている。

「ふむ、彰子様がいて始めて全員そろったと自然に考えているのう」

ただ単に自分の思考にふけっていた晴明だが、もう自然と彰子がいて全員と考えている。

それだけ彰子が安部低に溶け込むのが早かったと言うことか。

「ほっほっほ、良き事だわい」

『晴明様、準備が整ったようです。そろそろ・・・』

晴明が満足げに笑っていると、顕現した天一が声をかけてきた。

「おお、そうだの」

晴明は近くにあった扇を手にとり、ぽんっと手の平に打ち付けた。ゆっくりと腰をあげると、妻戸に手をかけ、外へ出る。出る直前に、一度部屋を振り返った。

「お前達も今日はわしの事など気にせず自由に過ごせ。・・・・それぞれ過ごしたい相手がいることだろうしのう」

扇で口元を覆いながら、ニヤリと笑みを浮かべて言い放つ。とたんに、五月蝿いっ!!と、幾人もの声が返ってきた。

 

 

 

 

 

 

 

晴明が普段食事に使っている部屋に来ると、すでに昌浩と彰子、吉昌、露樹が卓についていた。晴明も同様に腰をおろす。と、露樹と彰子が、晴明が卓に着くのを見計らって台所へと入ってゆく。しばらくすると、二人が白湯と小ぶりの餅を盆のせて再び現れた。

両方をそれぞれの前に並べると、二人はもとの席に着く。

それを見計らい、全員でゆっくりと頭を下げた。

「「「「「あけまして、おめでとうございます」」」」」

安部家では、ほとんどの男性陣が陰陽寮に勤めているので、正月に全員そろって新年の挨拶をすることもままならない。そこで、正月行事が一段落着いた年越しより7.8日ほど後に、こうして全員で挨拶をし、その年に始めてついた餅を食べることで少し遅い新年を祝う、という習慣が定着していた。

もちろん、昌浩が生まれた時にはすでに恒例行事となっており、その次の日は遅くまで寝ていたことを思い出す。

しかし、元服した今となっては、明日も仕事がある身。

それが少々辛いところである。

「昌浩、お餅おいしい?」

「えっ、うんおいしよ」

いきなりの彰子の問いかけに、少々疑問を持ちつつ答える。昌浩の答えに、彰子は本当に嬉しそうに微笑んだ。その表情に、昌浩ふと思い当たる。

「もしかして、この餅彰子が作った?」

「ええ」

よかった、と彰子はなおも嬉しそうに笑う。そんな彰子につられて、昌浩も自然と微笑んでいた。

「ほう、こちらの餅は彰子様がお作りになったのですか?」

晴明が感心したように呟く。吉昌も驚いたように妻を振り返った。露樹は誇らしげに微笑み返す。

「作ったと言っても、もち米を炊いてつき上がったのを丸めただけなんですけど・・・」

彰子は謙遜し、照れたように微笑んだ。

「いいえ、さすがに餅をつくのは女手では出来ませんから、殿にして頂きましたけれど、それ以外は全て自分でされてしまいましたのよ。私が教えたことはすぐに飲み込んでしまわれて、本当に感心いたしましたわ」

露樹が嬉しそうに言う。彰子を実の娘のように思っている露樹は、どんどん成長していく彰子が本当に誇らしく、また嬉しいのだろう。二人の間には親子にも似た空気が漂っていた。

「それはそれは。見事なものですなあ」

吉昌も彰子に笑みを向ける。世辞ではなく、心からの称賛として。

こんな家に置いてもらって、自分は幸せだと思う。何も知らないはずなのに自分を実の娘のように思ってくれる露樹。知っているけれど、世事ではなく心からの優しさをくれる吉昌。その懐の広さで自分を受け止めてくれる晴明。そして、いつも変わらず藤原の一の姫ではなく、彰子として、安らぎと暖かさ、支えをくれる、たくさんの約束を預け、預けられた、昌浩。

自分がしたことは許されない。

自分はいつまでもこの生涯を、偽りと共に生きていく。

けれど、それでも、ここにいられることが何よりの幸せだと、彰子は思うのだ。

 

 

 

 

 

 

 

「年越しも終わり、やっと落ち着いたか」

勾陣は屋根の上にたたずんでいた。腰をおろして隣に片膝をついている相手を振り返る。

「ああ。ここのところずっと忙しかったからな」

勾陣の隣に陣取った紅蓮は空の向こうを眺めながら答える。今は物の怪の姿を解いて人型になっていた。

「ようやくゆっくり出来ると言うわけか。このところ、お前も昌浩も顔が疲れきっていたからな。彰子姫が心配していたぞ」

勾陣は少しいたわるように微笑む。

紅蓮は勾陣に向き直ると苦い顔をして言った。

「彰子のことは昌浩が何とかするだろう。そのことで晴明がまた昌浩にちょっかいを出すかもしれんが・・・」

「八つ当たりは甘んじて受けるんだな」

勾陣は面白そうに笑う。

紅蓮はそれを見て苦い顔をしつつも、こういう会話も久しぶりだな、と思い当たった。

自然に顔が笑みを形づくる。

晴明にも、昌浩にさえめったに見せない、心からの微笑。

「どうした?」

そんな紅蓮を、勾陣は不思議そうに眺める。

「いいや、何でもないさ」

紅蓮はそんな反応を楽しみつつ、曖昧に返す。勾陣は、何なんだと疑問をもらしつつも、同じように微笑を返す。二人でいる時にだけ見せる、互いを想う微笑だ。

ふと、一陣の風がさした。神将である二人にとって、人間ほど寒いわけではないが、やはり少し冷える。紅蓮は、少しだけ己の肩を抱くようにした勾陣を見やると、ほんの少し、神気を解放した。

二人の周りがふわりと暖かくなる。いきなりのことに、勾陣は紅蓮を見やったが、すぐに悪戯っぽく微笑む。

「火将とは便利なものだな」

「・・・・素直に礼を言え、礼を」

紅蓮は呆れたように勾陣を見つめるが、特に気にしてはいないのか、それ以上は言わなかった。

ふと、勾陣が紅蓮の肩にもたれかかった。

紅蓮は特に驚いた様子もなく、そっと勾陣の肩を抱く。

それが本来の二人の在り方なのかもしれなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

異界にて、青龍は静かに瞳を閉じていた。

人界で年が明けて幾日たったのか、数えることさえ煩わしい。

そんな時、ふと、同胞の気配が近づいてくるのを感じ取り、うすく瞳を開いた。

瞳を開いて幾場もしないうちに、目の前に天后が顕現した。

青龍は煩わしそうに天后を一瞥する。

天后は困ったようにたたずんでいた。

「青龍、晴明からの伝言です。今日は自由に過ごすように、と」

天后は邪魔してごめんなさい、と言って目を伏せる。青龍は聞こえることもかまわず、舌打ちすると、顔を上げて天后を見やった。

「いちいちあやまるな」

「それは・・・・ごめんなさ、っ」

思わずあやまりそうにそうになり、ぎりぎりのところで踏みとどまる。

そんな天后を冷めた瞳で一瞥すると、再び顔を伏せた。

天后はそっと嘆息すると、場所を変えるために立ち去ろうとする。

「待て」

そんな天后に、青龍は顔を伏せたまま呼びかけた。

驚いて天后が振り返る。

「自由にしていいのなら、ここにいろ」

青龍は顔を上げて言い放つ。

天后は今度こそ絶句する。

しかし、青龍の瞳を見ると、そんな気持ちはいつの間にか霧散した。

いつものように冷めた瞳。けれど決して冷たくはない瞳。

天后はいつの間にか微笑んでいた。

「はい」

そんな天后を見つめると、チッと舌打ちをして顔をそむける。

しかし、先程のように顔を伏せることはしない。

それが嬉しくて、天后はさらに深く微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・眠い」

晴明の部屋で、太陰は気だるそうにまどろんでいた。座ったまま目を擦る太陰の傍では、玄武が呆れたように太陰を見つめている。

「今ごろ気づいたのか」

「何がよ」

玄武の呆れを隠そうともしない言葉に、太陰はむっとする。

そんな太陰に、玄武は心の中で溜め息をついた。

神将である太陰は、本来眠気などはあまり感じない。疲労が溜まれば眠り、力を養うことはあっても、そうそう自然と眠くなることはない。

それなのに眠いと言うことは、それなりの理由があると言うことではないか。

それに気づいてもいない太陰に、もう一度心の中で嘆息すると、そっと太陰の肩に触れ、瞳を閉じる。

「なッなによ!」

太陰は突然の玄武の行動に慌てるが、唐突に体の中に心地よい神気が流れ込んでくるのを感じると、大人しくされるがままになる。

しばらくそうしていた玄武は、やがて太陰の肩から手を離し、顔を上げた。

「疲れが溜まっていたのだろう。だいぶ神気が弱まっていた。そのせいで眠気をもよおしていたのだろう」

玄武の言葉に、太陰はきょんと首を傾ける。

神気が弱まっていた?

―――――――誰が?

そんな太陰の表情から察しが着いたのか、玄武は、今度は聞こえるように溜め息をついた。

「なぜ自分のことだと気づかんのだ」

「っし、知らないわよ!」

太陰はむきになって言い返したが、再び眠気が襲ってくるのを感じた。

反論の言葉は声にならず、心の中に留め置かれる。

そんな太陰を見た玄武は、そっと太陰に横になるように促した。

眠気のせいか、太陰は抵抗もせずに玄武の隣に横になる。

「我の神気を送り込んだ。少しは楽になるはずだ。少し眠れ」

そう言う玄武の衣の裾を、太陰は無意識のうちに掴んでいた。まどろみながら玄武を見つめる。

「・・・・ここにいて」

「うむ。当然だ」

玄武にしては珍しく、安心させるように微笑んだ。

玄武は太陰の手を握ると、自身も太陰の隣に横になる。

二人は寄り添うように眠りについた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

安部邸の裏にあるすのこに、朱雀は天一を抱えるようにして座っていた。

天一も、何の疑いもなく、絶対の信頼を置いて、朱雀の胸に身を任せている。

ふと、朱雀が夜空に目を向けると、いつも以上に満天の星空が広がっていた。

「天貴、上を見てみろ」

呼びかけられた天一は朱雀の瞳を追って、吹き抜ける夜空に視線を向ける。

あまりに美しい、星達の輝きに、天一は思わず微笑んだ。

「――――――綺麗・・・」

「お前には負けるけどな」

朱雀の言葉に、天一はその微笑を深くする。

決して飾らない、心からの朱雀の言葉が、天一は好きだった。どこまでも真っすぐで、純粋でいつも自分を受け止めてくれる恋人が向けてくれる微笑は、天一にとって、この上もない喜びだった。

「・・・・・たまふ、ありよのゆめもじか。しずるおんみの、くれなりのよに」

「天貴?」

天一はその美声で静かに唄を紡いだ。

そんな天一の声に聞き惚れつつ、朱雀は突然歌い出した天一に首を傾げる。

「唄の意味は美しい。本当に美しいものに、この唄を捧げるのだ、と、昔誰かに教えてもらったの」

天一は朱雀を見上げ、優しさを称えた瞳を笑みに形づくった。

朱雀はつられて微笑むと、天一を見つめる。

「なら俺はその唄をお前に捧げよう。誰より、お前に」

そう言って朱雀は天一を抱き締める。

誰より澄んだ、暖かな天一の心が、朱雀は好きだった。どこまでも優しくて、包み込むように暖かで、いつも自分を支えてくれる恋人が向けてくれる微笑は朱雀にとってこの上もない喜びだった。

そして今、このときを、二人は互いの鼓動を聞きながら、互いに想いを馳せながら、同じ世界で生きていくのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昌浩と彰子は、昌浩の部屋で話しこんでいた。いつもなら物の怪がいるはずなのだが、今日はなぜかいない。

「昌浩、もっくんは?」

彰子は不思議そうに首を傾げて問い掛ける。昌浩は少し遠い目をして答えた。

「あーー・・・まあ、たまには、ね」

昌浩の曖昧な答に、彰子は不審そうに顔をしかめる。が、まあ物の怪にも事情があるのだろうと推測して、また会話に花を咲かせる。

「・・・彰子、あのさ」

と、突然昌浩がもったいぶって話しかけた。ほんのりと顔が赤いような気がするのは見間違いだろうか。

「何?昌浩」

彰子が不思議そうに問い返す。すると、なにやらごそごそとしていたかと思うと、昌浩は小さな包みを取り出し、彰子に差し出した。

「何?」

彰子は昌浩の意図が分からず、繰り返し首を傾げるばかりだ。

「新年の、贈り物。何がいいのか分からなかったから、気に入らなかったらごめん」

そう言って昌浩が差し出した包みを受け取り、静かに開く。

中から出てきたのは藤の花の押し花だった。

鮮やかなままで時を止めた藤の花は、薄く薄くすかれた和紙に挟まれ、その和紙に樹液を重ね塗り、日にさらされる。それを幾たびも繰り返すことで、美しい押し花のしおりが出来るのだ。

彰子は目を見開いてその藤の花を見つめる。

やがてそのしおりを胸の前で握ると、春の花のように微笑んだ。

「ありがとう、昌浩」

本当に嬉しそうに笑う彰子に、昌浩は照れ笑いをしながら頬を掻く。

「何がいいのか分からなくてさ・・・。彰子、よく俺の書物読んでるし、しおりならそのときに使えるからいいかと思って」

「ええ、本当にありがとう。今度から早速使うわね」

より深く彩られた笑みは本当に暖かで、優しくて、昌浩もつられて微笑んでしまった。

彰子が笑ってくれるだけで、こちらまで幸せな気持ちになる。

昌浩は、何よりこの笑顔を、この少女を守りたいと、痛切に思った。

二度と、この笑顔を手放したくない。

二度と、このぬくもりを失いたくない。

約束なんて口実で、本当はこの少女の傍にいたいから。

彰子が望むなら、何に変えても守り抜きたいから。

「昌浩、今年もよろしくお願いします」

彰子が微笑んでそう言えば、

「彰子、今年もよろしくお願いします」

昌浩は言う。

それぞれが歩む道。

けれど、どんな困難があったって、それでも上を向いて歩けるのは、

互いを支えあう、

何者にも変えられぬ存在がいてくれるからなのだと、

いつも心で想っている。

 

 

 

 

 

 

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あとがき
  皆さんあけましておめでとうございます。
  新年最初のフリーがこんなんですみません。
  しかもやたら長いし・・・・。

  ここまで呼んでくださった皆さんありがとうございます。
  これを書いている時、華月は非常に恥ずかしかったです。
  なんとカップリングが5組も!!
  こういうのは一度やりたかったので、まあいいのですが・・・。
  カップリング、一番書きづらかったのは、なんと言っても青龍×天后。
  なんだかんだで初挑戦です。
  見事撃沈に終わりました。
  すらすら書けたのは玄武×太陰ですね。
  えー、大変な作品ではありますが、一応フリーなので欲しいなんて方がいらっしゃいましたらご自由にお持ち帰りください。

  ※配布終了

 

 

  +shine+ 華月柚菜  2004.12.31