御代の三兄弟
「安部昌浩」
その名は今や知らぬ者無しというほどに有名だった。
それもそのはず、稀代の大陰陽師としてその名をとどろかせた安部晴明の亡き後、彼が唯一定めた後継として安部昌浩は周囲に一目置かれるようになった。
その後、その甚大な力を徐々に発揮し、今では晴明をも超える大陰陽師として陰陽師の頂点に君臨していた。
その歳、なんと三十。
その若さで陰陽師の頂点に君臨するなど、まさに天賦の才としかいいようがない。
そして、安部昌浩は齢十八の時に晴明から十二神将を引き継ぎ、十二神将全員から認められたという経歴すらある。
まさに天才なのだが、そんな彼には仲睦まじい北の方様と、三人のお子様がいる。
北の方様は、公にはされていないが安部彰子。
旧姓を藤原彰子という。
お子様は、上の二人がなんと双子で、長男が十三歳の安部白里(あべのしらさと)、次男が同じく十三歳の安部貴行(あべのたかゆき)。
三兄弟の末っ子で現在十一歳、長女の安部蒼姫(あべのそうき)。
さてさて彼らの生活はいったい、如何なるものなのだろうか――――――――――――――――――――
「白里殿、清めの札は何処に!?」
「貴行殿、中務への文は!?」
「白里殿、祭壇への供え物を届けてはくれないだろうか?」
「おお、貴行殿これはよいところに。申し訳ないが笹竹の受け取りにいっては貰えぬだろうか?」
季節は春。
安部昌浩の双子の息子、白里と貴行は今年元服し、二人そろって陰陽寮で直丁の職を賜っていた。
誰もが一度は通る、雑用係の道。
分かってはいるが、こうも次から次へと仕事を積み上げられると、嫌でも出世したいと思うものだ。
しかもこの時期、とくに今は行事が山積みでとにかく忙しい。
お偉いさんも忙しいのだろうが、それ以上に雑用係は、どこからともなく湧いて出る雑務にとにかく振り回される。
それは二人にしても例外ではなかった。
「ゼエ、ハアッハア・・・っあーーーーつっかれたーーーー!!」
「ハア、ハア・・ッハア・・・・しんどい」
直丁の貴行と白里は明後日の祭典に向けて陰陽寮を駆けずり回っていた。
しかし、行く先々で仕事を頼まれ任され、二人の雑務は積み上がるばかりで一向に減らない。
しかもこの状況が一昨日から続いている。
さすがの二人も体力の限界にきていた。
今や陰陽寮のすのこに腰かけ、荒い呼吸を繰り返しているしまつだ。
「ゼエッ・・・・白里にいは次の仕事なに?」
貴行が自分の隣で、己と同じように息荒く呼吸を繰り返す白里に問い掛ける。
白里は顔を俯け、未だ収まらぬ動悸を押さえつつ答えた。
「ッハア・・・んっと確か祭壇に文を取りに行くのと、そのついでに笹竹の受け取り。お前は?」
「俺?俺は父上に伝言」
二人はやっと呼吸が収まったのか互いに顔を見合わせる。
これからまだまだ積み上がるであろう雑務に嘆息しつつ、すのこから重い腰をあげる。
「んじゃ、とりあえず次は祭壇に行ったらいいんだな」
「あーーーーー、俺今すぐ出世したい。んで貴族ども蹴落として思いっきりこき使ってやんの」
疲労のせいか、なにやら物騒なことを呟きだす貴行に、白里は呆れた様な表情を作る。
「お前なぁ・・・」
「だってどう考えても理不尽だぜ!!のんびり扇で煽ぎながらまったりして『麻呂は白湯が欲しいぞよ』とかぬかしてやがる麻呂野郎がいるってえのに、なんで俺達がこんなにあちこち駆けずり回らなきゃいけねえんだよ!!??」
「・・・・・・お前、それ誰の影響だ・・・・・・?」
大方物の怪が、昌浩が自分達ぐらいの時の話しでもしたのだろうと、心の中で解釈しつつ、白里は疲労のせいで瞳に嫌な光が輝き始めた双子の弟を、半ば唖然と見つめていた。
『・・・・白里に貴行よ、祭壇に急がなければならないのではなかったのか?』
とつぜん二人の前、ただ人から見れば何もないはずの空間から、二人に向けて呆れたような声が降ってきた。
二人は別段驚いた様子もなく会話を中断させると、声の主に向き直る。
「ああ、そうだね玄武。ほら、行くぞ貴行」
「うーーー」
「うーじゃないっ!!何事もまずは見習からだろう!!」
そう言って白里は、いまだ唸り続けている貴行を半ば引きずるようにしながら祭壇へと連れて行く。
そんな二人の後ろ姿を何とも言えない表情で見送る黒髪の子供のような姿の神将が一人。
黒髪の神将―――――玄武は、その呆れたような表情の裏で、白里たちと同じ歳だった頃の昌浩のことを思い出しながら切に思うのだ。
ああ、昌浩はなんと真面目で素直な少年だったのか、と。
「ほら貴行、祭壇についたぞ」
「ええっもう!?・・・白里にい、もっとのんびり行こうぜ〜〜〜。この夏の花鮮やかな陰陽寮の景色でも眺めながらさ」
「・・・・父上に言いつけるぞ」
いまだ白里の足元に蹲り、駄々をこねる貴行に、白里は冷ややかな視線を向けながら言い放った。
「昌浩殿っ!こちらはいかようにいたしましょうか?」
「ああ、それでしたら・・・・」
二人は己の父の名と、その声に反応してはっと顔を上げる。
二人の視線の先、自分達よりほんの少しはなれたところで、昌浩がなにやら指示を出していた。
彼らの周りや、白里たちの近くでは多くの陰陽師が祭典の準備に勤しんでいる。
しかし、彼らがほんの少しでも手を止めれば、その視線は必ず二人の父、昌浩へと向かうのだ。
そこに込められたものは尊敬、崇拝、憧れ、希望・・・・。
昔、物の怪から陰陽寮で人々に尊敬の眼差しで見つめられる二人の曾祖父、晴明に対し、口では憎まれ口をたたこうとも、誇らしく笑っていたという父の話を聞いたことがあったが、今がまさにそれだ。
ただ晴明であった所が昌浩になったというだけで。
二人は知らず知らずのうちに顔が輝く。
もともとこの二人は父である大陰陽師、安部昌浩を心から尊敬しているのだ。
人々から尊敬の眼差しを向けられる父を見ていると、どうしようもなく誇らしい気持ちになってくる。
そして己の中でも新たに誓うのだ。
父に見合うだけの、父を越えるほどの陰陽師になろう、と。
「どうかされましたか?」
二人は誇らしさに胸がいっぱいになっていたが、少し前で聞こえた父の声にはっと我を取り戻す。
昌浩が声をかけたところでは、何かあったのかちょっとした人だかりが出来ている。
昌浩が声をかけると、一人の歳若い陰陽師が困ったようにおずおずと進み出てきた。
「ああ、これは昌浩殿。・・・・実は、恥ずかしながら、祭壇に使用する白布が風であんなところに飛ばされてしまいまして・・・・。今から注文していてはとても間に合いませんので、どうしたものかと・・・・」
言われて昌浩はその陰陽師の言う、あんなところに目を向けた。
白里と貴行もその視線の後を追う。
昌浩の頭を通り越し、その上に見える塀のさらに上を行き、いくつかの枝を突き進み、たどり着いた先は幹の太い、立派な木のてっぺん。
地上からそこまでおよそ昌浩の五倍。
・・・・・いくら風で飛ばされたといっても限度というものがあるのではないだろうか。
「・・・ずいぶん飛ばされましたね」
「まったくお恥ずかしい限りです。しかし、落ちてくる様子もありませんし、いかがいたせばよいものか・・・・」
昌浩はしばらく思案していたが、ふっと顔を上げるとおもむろに言い出した。
「では私が取って来ましょう」
こともなげにそう言うと、昌浩は塀の上に飛び乗ろうと身構える。
それを見ていた周りの陰陽師たちは、大慌てで昌浩にしがみついた。
「まっ昌浩殿、やめてくださいっ!!なにもそこまでしていただかなくとも・・・」
「そうです、危険です、やめてください!!!」
「落ちたりすればいかがなさるおつもりですかっ!!」
口々に言い募る人々に、昌浩はしぶしぶといった様子で塀から離れる。
それを見ていた白里と貴行はかぱっと口を開けて呆れていた。
「・・・父上・・・・」
「・・・何考えてんだよ・・・」
その昔、昌浩が自分達と同じ年頃の頃から、昌浩は夜中に抜け出し、安部邸の塀を乗り越えて夜な夜な夜警を繰り返していたという。
そして今もまた、回数は減ったものの、相変わらず夜中抜け出しては破天荒な行動を繰り返している。
そんな父を知っている二人は、昌浩がかなり身軽で体術にも長けていることを知っているからいいものの、何も知らない陰陽師にとって見れば大変なことだろう。
父は自分の行動一つで陰陽師の一人や二人、首が飛んでもおかしくないということをもっと自覚すべきではないだろうか、とつくづく思う白里だった。
無理やり木登りを断念させられた昌浩は、本当にどうしたものかと腕を組んで思案していたが、おもむろにかしわ手を叩くと、誰もいないはずの虚空に向かって名を呼んだ。
「太陰」
すると、それに反応して昌浩の頭辺りのところに十にも満たないと思われる、栗色の髪の少女が突然現れた。
唐突に空中に浮かんで現れた、変わった身なりの少女に、周りの陰陽師たちはギョッと目を見開く。
しかし、昌浩は意に介した様子もなく、その少女へと目を向ける。
「何?昌浩」
「太陰、悪いんだけどちょっとあそこまで行って、あの白布を取って来てくれないか?あっ、風で取るんじゃなくて、太陰が取ってきてくれるとありがたいんだけど」
太陰と呼ばれた少女は、昌浩の言葉の意味に思い当たったのか少しむっとしたような表情を浮かべている。
「どういう意味よ」
「まあまあ」
悪びれずに言う昌浩に、太陰は分かったわ、といって、事も無げに木の上まで飛び上がると、あっという間に白布を掴んで戻ってきた。
「はい、これでいい?」
「ああ、ありがとう」
昌浩は太陰から白布を受け取りながら笑みを向ける。
本当に昔から変わらない、無垢な笑顔よね、と太陰は心の中で苦笑する。
「どういたしまして」
そう言うと栗色の髪の少女は現れた時と同様、唐突に、辺りに溶け込むようにして掻き消えた。
昌浩は、今だ唖然としている他の陰陽師たちに向かって、これでよろしいですか、と白布をさしだす。
まだ安部晴明が在命中であった頃、安部晴明率いる十二神将は京の中ではとても有名だったという。
そしてそれは今も変わらない。
ただ、安部晴明率いる、ではなく、安部昌浩率いる、になったことだけを除いては。
しかし、昌浩は晴明と違い、十二神将をただ人から隠すようなことはしなかった。
晴明はただ人の前で神将達を使おうとはしなかったが、昌浩はただ人にも見える様にしてまで、顕現させる。
どうしてか、とたずねると、稀代の大陰陽師は深く笑ってこう言ったのだ。
『神将たちは決して恐ろしいものではないということを知って欲しいからだよ。神将たちは鬼なんかじゃない。俺の大切な朋友だということを、知って欲しいからだよ』
昌浩の神将たちに対する深い愛情と、優しさを語った言葉だった。
白里と貴行は、思わず父の手腕に見入っていた。
と、ようやくこちらに気づいた昌浩がゆっくりと二人のほうに歩いてくる。
二人は慌ててすのこから飛び降りると、昌浩のほうに向かって駆けて行った。
「どうしたんだ?二人とも」
昌浩は、己の子供達が自分の前で立ち止まると、首をかしげながら問い掛けた。
「父上に伝言があって」
「俺に?」
子供達の前ではついつい口調がいつものものに戻ってしまう。
そんな自分に心の中で苦笑しながら、語りだした次男に目を向ける。
「誰からだ?」
「えーーと、陰陽師の敏次って人からです」
「えっ?」
見間違いだろうか、一瞬昌浩が固まったように見えたのは。
双子はあからさまな父の態度に首をかしげている。
「それで、なんて?」
「えっと、初心を思い出すことは非常に重要だ。自分の周りをよく探してみたまえ、だそうです」
昌浩は今度こそ本当に嘆息した。
「―――〜〜〜〜っあーー、敏次殿には敵わないなあ」
「?」
盛大に溜め息をついてうな垂れている父を前に、双子二人は顔を見合わせ、父を互いを交互に見やりながら首をかしげている。
実は昌浩、ある書物が急に必要になったのだがその在り場所がわからず困っていたのだ。
こういうことは全て下っ端に任せていたので、どこにあったのか忘れてしまっていたのである。
しかし、敏次の伝言によって見えてきた。
つまり、昔は自分がしていたことなのだからそのときのことを思い出してみろ、と助言してきたというわけだ。
本当に、最後の最後でいつも助けてもらっている。
いつの間にか大陰陽師と呼ばれるようになっていた自分だが、まだまだだなあと、つくづく思う相手が敏次だった。
いつか敏次のように細やかな気配りが出来るようになればいいと思う。
術を扱えるか否かだけが陰陽師にとって全てではないのだ。
「まあ、それはそれとして、伝言ありがとう、貴行。白里は何か用事でもあるのか?」
昌浩に礼を言われて照れている貴行をよそに、白里は幾分高い昌浩の視線に合わせようとしながら、昌浩の問いに答えた。
「俺は笹竹の受け取りに」
「そっか。じゃあ二人とも、もうだいぶ退出時間過ぎてるし、それが終わったらもう帰っていいぞ」
昌浩は自分の胸の辺りまでしかない双子の息子に視線を合わせようと、屈み込むとおもむろに告げた。
いきなりの退出許可に二人は慌てふためいている。
「そんなっ、まだみんな忙しいのに・・・」
「もうそこまで忙しいわけじゃないよ。それに、あんまり遅いと彰子が心配するだろう?」
二人はうっと言葉を詰まらせる。
母の名を出されては何とも言えない双子なのだった。
「・・・・分かりました」
しぶしぶといった様子の二人に苦笑しながら、昌浩は白里と貴行の背を軽く叩く。
「さっ、もう行っておいで。気をつけて帰るんだぞ」
微笑みながら言う父に二人は笑い返しながら返事をする。
そんな微笑ましい光景に、周りの人々は自然と穏やかな気持ちになる。
安部家の双子がこれからどうなるのかは分からないが、少なくとも、どちらも確かに昌浩の息子なのだと、誰もが思うのだ。
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あとがき
ついにやってしまった・・・。
ものすごくやりたかったパラレルなんです。
なので大目に見てやってください;
題名が「〜三兄弟」のくせして妹、蒼姫出すの忘れてた・・・;
短編でこれから書いていこうと思っていますので、よろしければお付き合い下さい。