「なあなあ白里にい、聞いてくれよ!」
「ん?なんだよ貴行」
「俺今日さ、白里にいと間違えられたんだぜ!」
御名に望み込め
「俺と、お前がか?」
白里と貴行は夕餉を食べたあと、二人で白湯をすすりながらめいめいに過ごしていた。
傍では彰子が繕い物に勤しみ、その隣で蒼姫が少しずつ縫い物について彰子から教えを受けている。
そんな中、急に話し掛けてきた双子の弟に、白里は胡乱げな眼差しを向けた。
「そっ。今まで間違えられることなんてなかったんだけどなあ」
貴行は腕を組み、首を傾げて思案する。
そんな貴行に、白里は至極当然といった顔で答えた。
「まあ、俺達双子だしな。今まで間違えられなかったほうが不思議じゃないか?」
白里と貴行。二人は双子だが、なぜか今まで人から間違えられたことがなかった。
顔が似ていないというわけではない。
むしろ「瓜二つ」という表現がピッタリくるほどによく似ているのだ。
しかし、決定的な違いがある。
それはその身に纏う雰囲気だ。
白里はその空気が驚くほど昌浩とよく似ている。具体的にどうと言うわけではないのだが、白里と話していると、どこか昌浩と話しているような感覚になるのだ。
貴行は白里とはうって変わって、その雰囲気が昌浩とはあまり似ていない。むしろ、彰子にそっくりなのだ。
だから、貴行と話していると、彰子を知らないはずの者も、貴行の中に母であり、昌浩の北の方様の姿を感じ取る。
「そ〜かあ?まあ、何て呼ばれても俺は俺だけどなっ」
貴行はそういって二カッと笑う。
その後に、おお今の俺かっこいい!と自我自賛している貴行に白里はあきれ返った表情を向けていた。
「二人とも」
と、急に後ろから、鈴を転がしたように凛と張りのある美声で二人を呼ぶ声が聞こえた。
二人が振り返ると、繕い物をする手を休め、二人に向かって微笑を浮かべている、見事なぬばたまの黒髪を持つ母、彰子と目が合った。
「二人とも、名前はその人を輝かせてくれる宝のようなもの。大切になさいね」
ふわりと笑って彰子は二人に諭す。
昔、まだ幼かった双子の兄弟に父、昌浩はこう言ったのだ。
『お前達の母上は本当に優しい人だよ。心の底から暖かくて、春の陽だまりのような笑顔をくれるんだ』
そう言って、自分より幾分低い双子の顔を覗き込んで、だからお前達もこんなに優しい子に生まれてきたんだね、と照れ交じりで囁いた。
本当にその通りだ、と白里は今更ながらに思う。
母は誰より自分達を抱き締めてくれる人だった。
声を荒げて叱るような人ではなく、自分から子供達に目線を合わせ、どうしていけないのか分かる?、と相手に自分で気づかせる道を選ぶ人だった。
そしてそれは今も変わらない。
この人が母でよかったと、心からそう思わせる人なのだ。
「ごめんなさい、母上・・・・」
そんなつもりはなかったのだろうが、自分が己の名をないがしろにした事について諭されたことに気づいた貴行はシュンと肩を落とす。
そんな貴行に、彰子は微笑みながら歩み寄ると、そっと頬に手を当てる。
「これから直していけばいいのよ。さ、顔をお上げなさい」
ゆっくりと顔を上げた貴行に、彰子はそっと笑いかける。
こう言ってはなんだが、家の母上は綺麗だと思う。
流れるような黒いぬばたまの髪。
優しさを称えたような穏やかな目元。
父、昌浩よりも1つ年下だというから御年29歳になるというのに、未だ若々しい母は年齢をまるで感じさせない。
ふと、白里は思いついたように視線を泳がせた。
そういえば聞いてみたいことがある。
未だ聞いたことのない、自分たちのこと。
「母上、俺達の名前の由来って何なんですか?」
彰子と貴行に歩み寄り、白里は素朴な疑問を口にする。
いきなりのことに彰子は一瞬えっ?という表情を浮かべた。
「そういえば聞いたことなかったなあ。母上、俺にも教えてください!」
貴行は先程までとはうって変わって興味津々と言った顔で催促する。
彰子はふっと苦笑すると、いいわ、と言って座り直す。
「蒼姫もいらっしゃい。皆の名前の由来を教えてあげるから」
彰子が微笑みながら末の娘を手招きすると、蒼姫はそれまで悪戦苦闘していた縫い物から顔を上げ、はいっと言って笑顔で歩み寄ってきた。
自分の周りに三兄弟が座ったのを確認すると、彰子はそれじゃあ、と言って語り始める。
「まずは白里からね」
「俺、ですか」
白里は興味半分、驚き半分と言った様子で言い返した。
彰子はそれを見て柔らかい笑みをこぼすと、そっと目を細める。
本当に愛しい者を見つめるように、あなたがいてくれてよかったと、そう言っているかのように。
「白里、白い、里。あなたには、その名の通りにいつまでも真っ白な心でいて欲しいという思いが込められているのよ」
「白い、心・・・」
「そう。欲にも、悪にも、何ものにも染まらずにあなたらしく生きて欲しいから。その心を、あなた色に染めて欲しいから。白い心を保つと言うのは本当に大変なことよ。心を強く持たなくちゃいけないわ。でも、白里にはそんな心の強い、意思を持った人になって欲しかったから」
そう言って彰子はふわりとした笑みを白里に向ける。
対する白里は茫然自失といったように彰子を見返している。
白里はしばし考え込んでいた。
自分は両親が願いを込めてつけてくれた名に見合った人間になっているだろうかと。
自分はまだまだ未熟だ。
もう嫌だと思うこともあるし、泣き言を言いたくなる時だってある。
果たして自分の心は強いのだろうか。
答えは――――――――――――否だ。
自分だって迷うし、人に流されることだってある。
自分らしく、なんてできていやしない。
シュンと沈んだ表情を見せた白里からその理由を感じ取ったのか、彰子は白里の頭に手を伸ばすとくしゃくしゃと優しく撫でる。
そんな彰子に、白里がゆっくりと顔を上げると、そこにはいつもと変わらぬ母の顔があった。
「白里、迷うこともまた、強い心を持っていると言うことですよ」
「えっ・・・・」
「初めから心が強い人なんていないわ。皆、迷って迷って、考え抜いた末に強くなるのよ。でも、考えることをせず、ただただ言いなりになるだけの人がたくさんいるわ。あなたはちゃんと自分の意思を持っている。だから落ち込まなくていいのよ」
彰子はふわりと笑うと、仕上げとばかりに白里の頭をポンポンと叩いた。
凍てつく心を溶かす笑みだと、なぜか無意識に白里は思った。
心が暖かくなるのを感じる。
母にそう言ってもらえるなら、もう少しこのままでいいのだろうかと思う。
考えて考えて、迷って迷って、そうやっていくつも間違い、誤り、踏み外して、少しずつ己を形づくっていけばいいのだろうかと。
過ちを許されたような安心感と罪悪感が白里の胸に広がる。
自分はいつも正しいわけじゃない。
ただ、己が正しいと思ってこの道を歩んでいるだけ。
でも今は、
たったそれだけでもいいのだろうかと、
迷ってもいいのだろうかと、
痛切に、そう思った。
「母上、次は俺の名前の由来を聞かせてくださいっ!」
白里がどこか安堵したような表情を取り戻すと、我先にとばかりに貴行が面を上げた。
彰子は苦笑しながら、はいはいと頷いている。
「貴行。高貴に、気高く歩む者。あなたの名の一字である<貴>には、いつも気高く、高貴なる存在であれと言う願いが込められているのよ」
「気高い?高貴?」
「そう。気高いと言うのは自分に誇りを持って欲しいと言うこと。それは自我自賛するわけじゃなくて、自分が自分であって良かったと、そう思えるような人になって欲しかったから」
彰子の言葉に、貴行は目を輝かせながら、そっかーそうなのかー、などと呟いている。
それを横目に見ながら白里は内心呆れかえっていた。
いや、貴行の場合自分に誇りを持つって言うか、自分に自信を持つって言うのは十分すぎるくらい出来てると思うんですが。
と思っていたとしても口には出さないのが白里の思慮深さといえるだろう。
「もう一つ、高貴と言うのは懐の広い人であって欲しいと言う意味もあるのよ」
彰子の言葉に貴行はどういうことですか、と目で訴えている。
「地位が高くなるほど人は視野を広く持たなくちゃいけないわ。自分より下も上も見なくちゃいけない。だから、そういう人のように誰でも受け入れることの出来る、広い器を持って欲しいと言う願いが込められているのよ」
懐を広く持つと言うのは口で言うほど簡単ではない。
緩やかに受け入れ、人を安堵させるような、そんな心が必要になってくる。
その点、この子なら大丈夫だと、目の前でうなている息子を見つめながら彰子は思う。
この子なら持ち前の明るさで人を癒してくれる。
受け入れてくれる。
それは白里にしても同じこと。
あの子なら自分の意思を持って生きてゆける。
そう信じているからこそ、こうして思いを託すのだから。
「じゃあ、つぎは蒼姫ね」
最後に彰子は、突然名を呼ばれきょんとしている末の娘に視線を向ける。
その心の内にさまざまな思いを抱えながら。
「蒼姫。蒼い、姫。あなたにはその名の通り、透明な蒼のように澄み渡った心であれと願いが込められているの」
「澄みきった心、ですか?」
蒼姫はやはりきょとんとした表情のまま首をかしげている。
「そう。大自然を流れる蒼い大河のように、どこまでも澄み渡る清い心であれ、と。そして大自然の一役を担う大河の如く、大きな器の持ち主であれ、と」
もっとも、その名をつけたのは彰子でも、昌浩でも、人でさえないけれど。
彰子は微笑みながら言う。
蒼姫はどこか複雑そうになにやら考え込んでいた。
そんな末娘を目を細めて見つめながら彰子は思う。
―――――――天狐の血。
霊力も見鬼も兄弟の中で一番劣っている末娘。
その代わりとでも言うように占いが得意な、陰陽一家に生まれた娘。
この子の名付け親、貴船の祭神高淤の神は言ったのだ。
一度でもその血が覚醒することがあれば命はないと。
故にこの国でも五本の指に入るという神、高淤に名をつけてもらい、その言霊でもって天狐の血を封印したのだ。
本人にはまだ知らせていない。
今はまだ、その時ではないのだと、昌浩は言っていた。
いずれ来る、その時まで。
今は、まだ―――――――――――――
「母上、母上っ」
「―――――っ!?」
はっと目を見開くと、そこには心配そうに自分を見つめるかけがえのない子供達がいた。
「お母様、大丈夫ですか?私からお父様に言っておきますから、自室で横になりますか?」
蒼姫は本当に心配そうに彰子の顔を覗き込む。
その人間らしい表情に、彰子は底知れぬ安心感を覚えた。
そうだ、この子達は私と、昌浩の大切な亜子なのだ、と。
「・・・・何でもないわ、大丈夫。さあ、白里、貴行、蒼姫、あなたたちもそろそろお休みなさい。昌浩は今夜遅くなるそうだから」
彰子はふわりと笑って言うと、まだ少々心配そうな顔を引きずりつつも、三兄弟は彰子に挨拶すると、大人しく自室へと引き上げていった。
その後ろを、今まで姿を隠していた玄武と天一、六合がついてゆく。
それを見送りながら、彰子はそっと安堵の溜め息を漏らした。
自分達の子供達は願いに少しずつ近づきながら育っている。
根が素直な子達だから、きっと大丈夫。
あの子達もいずれ、昌浩や晴明のようになるのだろうか。
まだ見ぬ、しかし近い未来に思いを馳せて、彰子は優しい笑みをその美貌に称えるのだ。
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あとがき
パラレル小説第二弾。
子供たちの名前についてです。
蒼姫については十分に書けませんでした・・・・;
お粗末っ